マリー解釈違い論争が白熱してきたのか、TwitterのTLにもいろんな意見が流れてきたので、私も少しだけお気持ち整理してみたい。
私もマリー推しの先生として、最初はアレレ…?と思ったものの、
今はそれほど解釈の違いには苦しんでいません。
個人的にどのような思考で納得に至ったのか、そのプロセスのご参考までに。
いろいろ言われているポイントは主に2つ。
①マリーがバイクを奪取するわけがない(冒頭)
初っ端から、銃を向けて「バイクを貸してください(奪取)」するマリー。
マリーにしてはあまりに乱暴なやり方だが、
経緯についてはストーリーの中で説明されている通り、緊急事態。
マリーもガンギマリー()になっているからなので、理解はできる。
いちおう葛藤する場面も描かれている。
覚悟をキメてからは、清々しいほどに大胆だが。
マリー(体操服)の固有武器の詳細。
本当に不良生徒に向けて撃つとはね…。
②マリーが写真ビリビリするわけがない(ラスト)
こっちの方がショックだった人が多いのでは。
ビリビリィ…(無慈悲)
色々ズレているサクラコ様は置いておいて、
作中の先生も驚いている。
ミネ団長もこの通り引き気味。
思い入れの強い人ほど
「え……なんか私の知ってるマリーじゃないんだけど……」
と感じるのでは。私もそう思いました。
ミネの反応は、普段のマリーとのギャップからして至極当然かつ、
「そんな乱暴なことせんでも……サクラコも可哀そうじゃん」
というプレイヤーの気持ちを代弁しているように思う。
作り手も予想していた反応なのでは?
どう理解するのか
解釈違いで苦しんでいる声を見てみると、
バイクを「奪取する」とか、写真を「破く」とか、行動の印象が強すぎるあまり、それ自体の是非や、マリーらしいかどうかに引っ張られてしまいそうになるが、
(インパクトが強いのは演出の意図通りなんだろうけど)
では、どうやって最終的にこれらの行動に納得できたのか?
マリーの行動については、まとめると以下のセリフに説明されているように思う。
愛用品の絆ストーリーでもそうだが、マリーは立派なシスターを志すあまり、自分自身にもやたらと厳しい。
自分自身に理想を押し付けているところがあり、欲望も無自覚に押さえつけがち。
ところが実は年相応なところもあり、本当は可愛いものやアイドルにも興味があって…
信仰心のため(大嘘)
そんな敬虔なシスターを志しているマリーが、
先生と一緒にミネとサクラコをサポートする中で、自分でさえ知らなかった一面が見えてくる。
内戦勃発を止めるために大胆にバイクを奪ったり、
アイドルをやってみたいという本心に気づいたり、
先生にわがまま言ってみたり。
理想と本心とのギャップで葛藤する少女マリーが、一連の出来事を通して、少しだけ自分に素直になることができた。
……でもやっぱり、マリーはシスターを志している。
素直でわがままなアイドルマリーはここまで。
楽しかったけれど、これは自分の理想の姿ではない。
だから明日からは、シスターマリーに戻ります。
おしまい。
絆ストーリーまで読むと、もう少し理解が深まるかもしれない。
……いつもの私も、お願いします。
ということで、これらの大胆な行動が「なんかマリーらしくない」というのは、考えてみれば当然なのかもしれない。
普段のマリーは理想的なシスターとして振舞っていて、今回は抑圧されてきた、自分でも知らない一面が出たのであれば。
行動の合理性については、
①バイクの強奪・・・緊急事態だから
②写真ビリビリ・・・普通に恥ずかしくて嫌だったから
として説明はつく。
さて問題は、そのやり方や態度。乱暴で、思いやりが足りない!マリーっぽくない!ってところだが、
これについては、まさにあれはアイドルマリー(=わがままマリー)だったから。ということで説明がつかないだろうか。
「だとしても、こんなことするのは人としてどうなんだ、」って話になるなら、ブルアカ自体が未熟なところもある生徒たちの成長物語なんだから、という最終手段を使えば割り切れるかもしれない。
無理矢理自分を納得させてるところも(?)あるかもしれないが、個人的にはスッキリしています。
モヤモヤしてる先生への一助になれば。
マリー(スッキリ)